前に話をしていたときに、「見捨てられる不安」という話がでました。
自分の中にもあるだろうかと思っていると、「あぁ自分にもあるな」と感じたのでキネシで調整をしました。
セルフでの調整でしたが、効いたかどうかわかりません。
後から気づきましたが体感的な変化として酒が飲めなくなりました。
私は、もともと酒を飲むほうで、ビール500mlを毎日3本、多くて6本ほど飲んでいました。
飲みに行けば、ジョッキで10杯くらい飲んでいました。
お店の人から「もう10杯目だよ」と言われても「えっ!?そんなに?」と思うくらいでした。
幸か不幸か酒を飲んでもあまり変わらないのと、ガンマGDPや尿酸値も低いので自分ではアルコールは問題視しませんでした。
ただ、酒を飲むことに疲れてきたので、なんでこんなに飲んでいるのか自分なりに考えてみると、
何かしらの出来事(ストレス)→不愉快(私)→アルコールを飲む(ストレス)→不愉快(肝臓)
という流れになりました。
何かしらの出来事を私が不愉快に感じた分だけ、
酒の量が増え、アルコールを処理する肝臓の負担が増えるという具合です。
されて嫌だと感じることをそのまま自分の体にしているようなものです。
これは、まさかの一人ブラック!?労働基準監督署から指摘を受けそうです。
アルコールの分解処理を人の仕事量で例えたらどれくらいの量になるのだろうと想像していました。
日頃の仕事や生活を行えるように日々感じるストレスを酒で押さえつけてバランスをとっていたようですが、私は、仕事に使うエネルギーよりも酒でバランスをとっている方に相当量のエネルギーを使っていると感じていました。
こっちの方が疲れるのです。この押さえつけるエネルギーを別のエネルギーに変換できないだろうか?
時期が来たらやめようと考えていました。さっさとやめなかったのは、うっすらさみしさも感じていたからでしょう。
良くも悪くも酒にまつわる思い出もあります。長い付き合いです。わかっているけどやめられない。
それが、いきなり飲めなくなったのです。
身体が受け付けない。臭いが無理。臭い。
飲みたくなるような禁断症状はありませんでした。
ぐずぐずしていましたが、関係ないと思われる調整からあっさりと飲めなくなったのは驚きです。
アルコールの過剰摂取と見捨てられる不安は関係があるのかな・・・?と頭の隅っこに入れておきました。
飲める立場から飲めない立場になるといろいろと見え方や感じ方が変わってきました。
アルコールが飲めなくなると、人からの誘いが減ってきます。
飲まずに飲み会の席に行ったとしても、飲めた人が飲めなくなったということからやや温度差を感じたり、酔っぱらいの中に入れないことからやや寂しさを感じました。
飲んでいた時には気づかなかった感覚です。自分の中にある寂しさを認められず、寂しさを感じないようにするために酒を飲んでいたのかな?と振り返りました。
たぶん、調整をする前は、この「寂しさ」が「見捨てられる不安」というくらい強烈な刺激として私を襲っていたのでしょう。
ビールは強烈な刺激から私を守るために必要で守ってくれていた・・・。
だけど、助けられてはいたが満たされることはなかった・・・。
ついにビールを散々飲んでも満たされなかった何かが満たされ始めたのでしょう。
大量のビールたちよ、いままでそばにいてくれてありがとう。
ごちそうさまでした。