変わりたくなくても変わってる

良くなる、悪くなる、いろいろな変化には、少なからず不安や恐怖といったストレス反応があるようです。

 

悪くなるという変化の場合は、悪くなりたくないので、そりゃそうだろうと思うのですが、
良くなるという場合にもストレス反応があるようです。

現在、何かしらの症状があるにしろ、ないにしろ、現在の状態からの変化しようとする場合には、
未開の土地に行くような不安と、自分ってこういう人という価値観が変わることをうすうす気づいているからかもしれません。
よくわからないものや得体のしれないものは、妄想が膨らみやすいので恐ろしいですよね。

 

動かない、変化しない状態の場合には、
親しみやすい環境の中にいるので、生活の範疇がわかっています。
親しみやすい環境で、知っている人たちの中で生活していく・・・というのは生活の要領がわかっているので居心地のいいものです。
とはいえ、なぜかしんどい、このままではいけない!一歩踏み出さなきゃ!と、やむを得ず変化する状況が迫ってきたりします。

 

悪くなる←〇→良くなる

 

〇の中が親しみやすい安全圏だとすると、悪くなる、良くなるというのは、
安全圏から外側に出るということなのでしょう。
〇の中にいれば、安全圏であるので居心地が良く安心できます。
安全圏で居心地のいいのはいいですね。私も可能であれば、とどまっていたいです。

 

とはいえ、〇の中にいると思っていても症状の変化、年齢の変化、環境の変化などでいつの間にか〇の外へ出てしまっていたりします。

 

あれ、とどまっていたかったのに出ちゃった。そんな感じでしょうか。

 

「嫌われたくない~」と思いながら毎日笑顔でさわやかに振舞っていたけど、気づいたら「いい年になっていて変態スケベ親父扱いされてめちゃくちゃ嫌われてるじゃねぇか!」と気づいたりします。

 

振り返って自分のいた〇を外から見てみるとそんな〇なんてなかったのだと気づきます。
変わらずにとどまることなんてできないのだと。

 

変化したくない、変わりたくない~と思っていても変わっちゃってるじゃん!
こんな感じになると何が怖かったのかもサッパリわかりません。
そして、さらに気づきます。
何十年も何を怖がっていたのか・・・。さっさと動けばよかったと。

 

一歩踏み出してみると、嫌われるの怖いと思っていても、実際嫌われてみたら大したことなかったと感じて、
おもしろ親父としてキャラ変えのチャンスかもしれないという発想が生まれるかもしれません。